拝啓テッキン

江浦で仕事をしていて17時半頃になると2キロ離れた獅子浜の辺からマフラー音が聞こえてくる。

その音は江浦の浜を曲がりテッキンの自宅前を通過してこいけ屋の前で止まる。

半帽ヘルにサングラスでこっちを見て、

『ご機嫌だねぇ』

それがテッキンの挨拶だった。

テッキンは江浦の2個上の先輩でバイクバカでどんな天気だろうがバイクしか乗らなかった。

しかも自分より年上の年式の古いトライアンフ。

シフトチェンジが右にありブレーキが左。

当時の規格でマフラーの音もでかい。

めちゃくちゃカッコ良かった。

ヤマハのSRやカワサキのWはこのトライアンフに似せてるんだと思う。

テッキンは自分では触らないのが主義でちょっとした作業でもやらされた。

それは、俺のバイクのことは全部把握しとけよというメッセージでもあった。

もちろん俺らも手に追えない事が多々あり、東京日野市にあるテッキンが購入したトライアンフ旧車専門店に俺とダイで軽トラに積んで持っていく。

修理完了して取りに行って自走で帰ってくるけど途中で止まっちゃったこともあった。

まあとにかく不便なバイクだった。

テッキンは酒も大好きでよくヤフオクでレアな古い洋酒を代行落札していたが考えられない値段でよく買っていた。

中には火がつくほどのアルコール度のもあったけどショットで楽しそうに飲んでいた。

作業が遅くなるとよく2人で長岡に飲み行った。

最初から最後まで話は酒とバイクの話。

そこのママも凄くお酒が好きなんだねと感心していた。

『乗りたい車がねんだよなぁ』と妥協して何かに乗ろうとはしなかった。

『俺が死ぬときはバイクだろうな』と言っていてバイクで死ぬならしょうがないとそこまで思ってバイクに乗り続けていた。

そんな思いが現実となる。

2004年6月10日その日俺は誕生日会を家族に開催してもらっていた。

そこにテッキンの親友から一報が入った。

『テツがバイクで事故って救急車で市立病院に運ばれて結構やばい状態だ!』

誕生日会を飛び出し市立病院に駆けつけた。

病室に行くと治療が終わったテッキンが寝ていた。

頭に包帯が巻かれていたがそれほど酷いようにも見えない。

ただおかしいのは体が揺れるほど心臓が大きく動いている。

寄り添っていたおじさんから、

『テツはもう目覚めないって。』

え!?

心臓動いてるし大した損傷ないのに!?

『この心臓もあと何時間で止まるらしい。』

現実を受け止める事ができなかった。

そこから数時間後テッキンの心臓は動くことをやめた。

あれから16年。

こいけ屋の神棚に祀ってあるテッキンのバイクのキャブレターとナンバープレートに護身を頼んで俺は愛車のトライアンフで九州最南端へ行く旅に出た。

大寒波にもなり雨の中、風の中、雪の中、6日間で延べ1900kmを走ったが無事帰ってこれた。

一度、鹿児島の田舎道を走っていると強風で5mはある大きなビニールが畑から飛んできた。

やばい!と冷や汗が出たけどバイクの下に入り込んでくれてうまい具合にちぎれてなんともなかった。

そのまま俺に当たっていたら操縦不能になり対向車側に行ってしまったかもしれなかった。

テッキンが守ってくれたのかな。

だからお礼に最南端でテッキンに薩摩焼酎を買ってきたよ。

早速テッキンちの仏壇にお礼した。

洋酒じゃないやっすい酒だけど飲んでくださいな。

テッキンありがとう。

またバイク旅に出るときは頼むね。

Follow me!